パリ研修旅行-1 パリの都市計画

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毎年、恒例の海外研修旅行
昨年は、N.Yでしたが、今年は、10月、フランス パリに行ってまいりました。
パリ=シャルル・ド・ゴール空港に到着し、空港からエッフェル塔付近の宿泊ホテルへ移動するバスの車窓から見える夕暮れの中のパリの街並みの美しさがまず、大変印象的でした。
“華の都”と称される美しい街並みのパリですが、この街並みは150年以上前に完成され、現在でも、当時の建物が使用されています。今回は、住み継がれ、使い続けられる美しい建築や街並みがどのように作られたのかについて、触れたいと思います。

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パリの街並みは、19世紀、皇帝ナポレオン3世の命を受け、当時のセーヌ県知事のジョルズ・オスマンによって行われた“パリ改造”という都市整備計画によって作られました。19世紀半ばのパリは、都市衛生・生活環境が劣悪で、不衛生で、スラム化し、経済も停滞し、病気や疫病が蔓延する街でした。フランスの文豪、ヴィクトル・ユーゴーの“レ・ミゼラブル(あゝ無情)”の中でも、貧困・犯罪・病や、薄暗く不穏な空気のパリの街が描写されています。当時のパリは、建物と建物の間隔が狭い為、暗く、風通しが悪く、細い道ばかりで裏路地は迷宮のように入り組み、住民は日々の生活で出る生ごみや汚物を通りに垂れ流しにする為、街中の路地やセーヌ川を汚染し、悪臭が漂っていたそうです。そこでオスマンは下記のような都市の開発を行いました。

・凱旋門やエトワール広場から放射状に広がるブールヴァールと呼ばれる大通りの整備
・シテ島への架橋
・道路建設・美観、日照、防災の観点から建物の高さ制限を規定
・街区の内側に中庭を設けて緑化
・路地裏の迷宮のようなスラムの取り壊し
・上下水道の敷設
・学校・病院などの公共施設の拡充
・新進気鋭の建築家によるルーブル宮やオペラ座などの文化施設の建設

Photo
(google mapより)

オスマンは、上記の実行の為、
スクラップアンドビルドという手法により、
計画地内にある建物を強制的に全取り壊しを行い、
オスマンの計画によって破壊されたパリの路地裏面積は実に7分の3にものぼるそうです。 こうして成されたパリ改造により、物流機能の改善により経済活動の改善、スラム街の解体や反政府勢力の活動の縮小、コレラなどの疫病の抑制などが成され、パリの街、そしてその街に住まう人々の暮らし自体が大きく変わることとなりました。また、パリ改造は、近代都市計画・建築活動に大きな影響を与え、近代都市のモデルとして見なされ、“華の都パリ”と称される街になりました。

既存の建物を一気に取り壊すという、かなり乱暴な都市計画・再開発にも感じますが、地震の少ないヨーロッパの地形、乾燥した気候に石造りや煉瓦造りの建築であることも相まり、こうして今も住み継がれる美しい街並みが作られたのです。

フランスの「建築に関する法律」第一条では、“建築は文化の表現である。建築の創造、建設の質、これらを環境に調和させること、自然景観や都市景観あるいは文化遺産の尊重、これらは公益である。”と謳われています。一方、日本の建築基準法では、技術的な最低限の基準を順守させようとしており、

日本、パリの“建築”という物に対する意識の違いが浮かび上がります。パリを含む、ヨーロッパでは、文化や歴史を尊重しますが、逆説的に言えば、個人的な好みでの建物が作れないという側面もございます。
日本では、周りの景観との調和を必ずしも重要視しないとも言えますが、実用性を重視し、発想力豊かな建物が創造しやすい環境にあります。最低限の基準しか法律で規定されていない日本は一棟一棟、お住まいになる方の暮らしや使い勝手を想い、住宅の設計を行うこと、その上で、景観や街並みに配慮すること、私たち設計者としての考えが、試されている と改めて感じさせられました。

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